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志賀町・籠漁の甘エビ

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2015年3月25日 (水)

能登半島地震から8年

今年も、3月25日を迎えました。
能登スタイルが生まれるきっかけとなった「能登半島地震」から
今日で8年になります。
本当に月日の経つのは早いですね。

久しぶりに、8年前の写真を見返してみました。

Kawara

地震が起きたのは日曜日でした。

それからしばらくは、部屋や会社の片付けなどに追われつつ、
私は、ただひたすら、当時中心的なSNSだったmixiなどで情報発信をしていました。

地震から1週間後くらいだったでしょうか。
一番ひどい被害のあった門前地区へとボランティアに出かけた時のこと。
ボランティアセンターを通して、担当する仕事をもらい、
一番大きい避難所になっていた道下(とうげ)の公民館に向かいました。

避難所の公民館の前には、畑から採ってきた大根がずら~っと並んでいました。
なんとも美味しそうに。

その横では、遠方からかけつけてくださったボランティアの方々のテントがあり、
そこには配布用の救援物資であるインスタント食品やラーメン缶が山積みでした。
ところが、どう見ても救援物資が余っているようなのです。

それも、そのはず。
避難所の方々は、自分たちの畑でとれたものを持ち寄って
炊き出しをしていました。
温かくて、美味しいものを食べていたのです。
聞けば、地震が起きた当日のお昼から、すでに地元の人達で炊き出しは始まり
その日のうちに、公民館裏に自前のトイレを作っていたとか。

たくさんの人が、避難しているんだろうなぁ・・・と想像して避難所に入ったら
予想に反して、がらーんとした室内。

「みんな家の片付けに行っとるよ」

あわてて、私たちも片付けの現場に向かいました。
被災者は避難所にはおらず、現場で働いていました。
お年寄りも、子供たちも。
時に、冗談も言い合いながら、楽しく瓦礫を運んでいたのです。

食べるものがしっかりあって、みんなが力を合わせて働いている・・・。
「なんて、豊かなんだろう!」
地震の時に、能登の生きる力を見せつけられてしまいました。
たしかに、震災は不幸な出来事だったかもしれませんが、
この「能登の力」があれば何があっても大丈夫!
と、とても心強く感じたことを覚えています。

せっかく、遠くから救援物資を持ってきてくださった方に悪いので
地元のボランティアである私たちが、ラーメン缶をいただきました。

あれから、8年。
復興に向けて様々な取り組みが生まれて、今日も、能登は元気です。
あの時感じた、心豊かな能登の暮らしを、これからも
「能登スタイル」で伝えていきたいと思います。

nami@能登スタイル

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