足軽屋敷で思わず涙しそうになった話


こんにちは。能登スタイルスタッフ、ハシモトです。
能登に観光に来る方の中には、金沢経由の方も多いかと思います。
というわけで、今回は能登ではないのですが、番外編 ということで、
金沢のとある観光地のことを・・

金沢の観光地はいくつかのエリアに分かれますが、その中に長町武家屋敷跡
という観光地があります。 
この界隈はかつての藩士が住んでいた屋敷跡で、土塀の続く町並みとなっています。
(金沢も初心者なので、付け焼刃の知識です(苦笑)。)

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その中でも、今回取り上げたいのが、「金沢市足軽資料館」です。
江戸時代には武士の最下層に位置づけられていたそうですが、
加賀に住む足軽の住居は、他地域の長屋形式とは違い、庭付き一戸建ての
屋敷が与えられていたとのことです。

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外観写真がないのが残念ですが、中の間取りはこんな感じです。
玄関入ってすぐの明るい座敷は、お客様用なのだそうです。
土縁の外には庭がよく見え、一番いい場所に座ってもらうのですね。

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(座敷から庭を眺める)

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(茶の間)

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(流し)

そして、私が一番感動したのが、こちらです。

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この「あま」は、こんな感じで使うようです。

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普通はこれ見ても感動しないですよね。普通しません。
(した方がいらしたらごめんなさい。)
実は、この「あま」、東京の亡くなった祖父の家にあったのです!

実は私が今いる石川県某市はこの祖父の故郷なんです。
祖父は12、3歳の時に、丁稚奉公で東京の方に出てきたらしいのですが、
今祖母が住んでいる家もそうですが、建てなおす前の家も大工だった祖父が
自分の手で建てたものです。その古い方の家に「あま」があったんですね~

祖父宅のあまに上がるには、この写真のような、ちゃんとした梯子もなく、
壁際に小さな角材がいくつか打ち付けられているだけでした。
なので、よほど身軽でないと大人は簡単には上がってこれなかったのです。
そのため、小さい頃は兄弟やいとこたちと秘密基地のようにして遊んでいた、
懐かしい思い出があります。

ただ、子ども心にも「何でこんなところに、上りにくい部屋を作ったんだろう?」と
不思議に思っていました。
それが、ウンジュウネンの月日を経て、ここ祖父の生まれた地で、その謎が解けたわけです!
というわけで、私ひとり、ジーンと感動していました。この「あま」を見ながら・・^^
70歳近くまで現役で大工仕事をしていた祖父ですが、10代前半という子どもの頃に、
ひとり故郷を離れ、寂しいこともあったと思いますが、大人になってからは家に
あまを作って、故郷を偲んでいたのでしょうか?

皆さんの中にも、「あま」があるご家庭はありますか?
石川県以外の地域でもあるものなのでしょうか? 情報をお待ちしています!

【本日の能登弁】

「あの子、まんでかたい子やったねー」⇒ 「あの子、本当に行儀のいい子だったねー」

かたいと言っても、からだが固い、とかではありません^^
子どものお行儀がいい、とか、おとなしいとかいう意味で、
泣かずにおとなしくしていた赤ちゃんのことを言ったりします。

皆さんは、幼少時代かたい子だったでしょうか^^?

 

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“足軽屋敷で思わず涙しそうになった話” への 2 件のフィードバック

  1. 大ちゃんさん、お返事が遅くなってしまいました。
    そうですね、今のロフトですね!
    しかし、今よりもっと狭くて暗~いところでしたが^^

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